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イノセンス (Innocence)
イノセンス (Innocence) は2004年3月6日に全国東宝洋画系で公開された押井守監督のアニメ映画。

映像
押井守は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の際に既にアニメ映画の方法論は決したとしてアニメをこれ以上作ろうとは考えていなかったが、Avalonでアニメの方法論を実写に取り込んだ押井守は、実写の方法論をアニメに持ち込んでこの映画を製作しようと考えた。

即ち、3Dでモデリングされた空間にカメラを持ち込み、それを切り出して映像を製作しようと考えたのである。一時期は「コンテも切らない」と明言していたそうだ。だが3D担当者はそれは不可能であると言い、テスト段階のコンビニエンスストアのシーンで想像以上のデータ量の前にその目論見は崩れ去った。現に公開されたものでもこのシーンは分割してレンダリングしたものを後に合成するという方法でレンタリング時間を短縮している。

しかし本編映像、特に中盤の大祭のシーンは驚くべき物量で構成されており観衆を驚嘆させた。カメラマップと呼ばれる手法を利用した映像は、まさに「絵画が動く」といっても過言なものではないだろう。

また、アニメはキャラクターをセルで描くため、画面をセル画が占拠すると画面内の情報量が失われがちだが、江面久を筆頭とするエフェクトチームがAfterEffects等を駆使してそれに対抗し、処理速度が停滞すればPower MacG5の大量導入でこれに対処した。

アニメ映画では始めて、全編にわたってDominoによる映像処理が施されている。

音響
押井守は以前より音響にもこだわっており、それに則った音響製作が行われた。

まず、以前より劇伴作曲家として押井守作品に関わってきていた川井憲次による本作の第2のメインテーマともいえる「傀儡謡」のコーラスを80人近くの民謡歌手を集めて収録した。

また音響は、スカイウォーカー・サウンドにてランディ・トムが行っており、迫力の音響世界が創造された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-24 15:55
ヤミと帽子と本の旅人 (アニメ版)
『ヤミと帽子と本の旅人』(やみとぼうしとほんのたびびと)は、2003年10月から2004年1月にかけて放映されたアニメ番組。全13話。
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原作が同名のアダルトゲームのためか、過激なシーンが多く見られる。特に、主人公の自慰シーンなどをそのまま放映した第7話は視聴者に衝撃を与え、テレビ神奈川が放映を見合わせたというデマすら流れた。

なお、時間軸をばらばらにしてあるので、第1話から順番に見てもストーリーを理解するのは大変困難である。時間の経過にそって並べ替えると、第3話Bパート+第4話+第9話Bパート(錬金術の世界)→第7話A後半パート+第1話Aパート(現代世界)→第3話Aパート(ヤミの図書館)→第6話+第7話A前半パート(孤島の世界)→第5話(原始創世の世界)→第8話+第9話Aパート(アルカディアの世界)→第1話Bパート+第2話(夜行列車の世界)→第10話Bパート+第11話Aパート(移民宇宙船の世界)→第10話Aパート+第11話Bパート+第12話(宇宙庭園の世界)→第13話(現代世界・ヤミの図書館〔エピローグ〕)となる。このことは最終話のエンディングで明かされる。

ストーリー
いくつものパラレルワールドを「本」として保管している「ヤミ・ヤーマ図書館」に紛れ込んだ主人公は、16歳の誕生日に行方不明になった義姉の初美を探して様々な本の世界を旅する。

スタッフ
監督:山口祐司
シリーズ構成:望月智充
キャラクターデザイン・総作画監督:西田亜沙子
原画:CARNERIAN(カーネリアン)
音楽:多田彰文
美術監督:小山俊久・渡辺紳
ゼネラルプロデュ―サ―・企画:長澤隆之
製作指揮:長谷川洋
プロデュ―サ―:高谷与志人・高畑裕一郎・浦崎宣光
アニメーション制作:スタジオディーン
ソワン博士のおすすめ(ヤミと帽子と本の旅人、ファンサイト)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-24 15:42
ハリケーン・リタ (Hurricane Rita)
ハリケーン・リタ (Hurricane Rita) は、2005年9月下旬にアメリカ合衆国南東部をおそった大型のハリケーンである。

概要
ハリケーン・リタは、2005年大西洋ハリケーン季節の17番目に名付けられた暴風雨、9番目のハリケーン、5番目の主要なハリケーンであり、2番目のカテゴリー5・ハリケーンである。この暴風雨はすでにフロリダ州及びキューバに影響を与え、その後テキサス州及びルイジアナ州を脅かそうとしている。この系統は2005年9月21日の午後にカテゴリー5 強度に成長し、テキサス州ガルベストン西部へ9月24日中に上陸するだろうと予想された。避難勧告はテキサス州沿岸部に出され、暴風雨はニューオーリンズも被害が出ると予測された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-24 15:34 | ★ニュース
京極 夏彦(きょうごく なつひこ)
京極 夏彦(きょうごく なつひこ、1963年3月26日 - )は日本の作家、妖怪研究家、デザイナー。世界妖怪協会評議員。北海道小樽市出身。北海道倶知安高等学校卒業。桑沢デザイン研究所修了。本名 大江勝彦。
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作家論
1994年、講談社に持ち込んだ『姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)』でデビュー。無名の新人であっただけに衝撃は大きく、これを機にメフィスト賞が創設された。そのため、しばしば第0回メフィスト賞受賞者と称される。

デビュー作以来続く、彼の代表作と言える京極堂シリーズには憑物(つきもの)落しと同時に推理する新しいスタイルの探偵が出て来る。このシリーズは、極めて頁数が多いのも特徴で『鉄鼠の檻』で826頁、『絡新婦の理』で829頁、『塗仏の宴』で上下巻に分けて1248頁という厚さに達している。そのため、京極作品は「レンガ本」「サイコロ本」とも呼ばれる。

また、作家デビューする以前からデザイナー・装丁家としての顔も持っており、綾辻行人の『眼球綺譚』や『フリークス』などではカバーデザインを担当している。

作品の見せ方についても、一つの文がページをまたがることのないように、ページ・見開きの末文で改行するよう構成する(文庫化などで字数が変わるとそれに合わせて適宜改行位置を操作する)など、独特のこだわりを発揮している。デザイナーの血がそうさせるのだとも言われるが、それは読者がページを開いたときの第一印象まで、作家の主体的な制御下に置こうという試みといえる。そのこだわりは、自らDTPソフトAdobe InDesignを駆使して全ページのレイアウトをこなして印刷所に入稿するレベルにまで至っている。

『巷説百物語(こうせつひゃくものがたり)』はTVドラマやアニメ版が作られているが、そのアニメ版では声優(京極亭役)として出演した。また、既にゲゲゲの鬼太郎第4作101話で脚本および自身をモデルにしたゲストキャラ一刻堂のキャラクターデザインと声の出演を担当した。

妖怪に対する造詣・愛着は並大抵ではなく、水木しげるの弟子を自称し、彼と共に世界妖怪協会の中核を占めて活動している。水木しげる作品はほぼコンプリートして、自宅の書斎に設けた特設の「水木楼」に収めている。その徹底ぶりは、水木作品のゲーム版を集めるために、普段はしないゲームのハードも揃えるほどという凝り様である。

『嗤う伊右衛門(わらういえもん)』は演出家・蜷川幸雄により映画化(唐沢寿明、小雪主演)、東京国際映画祭に出品される。

また2005年7月、氏のデビュー作でもある『姑獲鳥の夏』が映画化された。

受賞歴
1996年 -『魍魎の匣(もうりょうのはこ)』により第49回日本推理作家協会賞を受賞。
1997年 -『嗤う伊右衛門(わらういえもん)』により第25回泉鏡花文学賞を受賞。
2003年 -『覘き小平次(のぞきこへいじ)』 により第16回山本周五郎賞を受賞。
2003年 -『後巷説百物語(のちのこうせつひゃくものがたり)』 により第130回直木賞を受賞。
第二の京極夏彦を探そうというコンセプトから、メフィスト賞が創設された。

作品リスト
京極堂シリーズ
姑獲鳥の夏 (うぶめのなつ)
魍魎の匣 (もうりょうのはこ)
狂骨の夢 (きょうこつのゆめ)
鉄鼠の檻 (てっそのおり)
絡新婦の理 (じょろうぐものことわり)
塗仏の宴 宴の支度 (ぬりぼとけのうたげ うたげのしたく)
塗仏の宴 宴の始末 (ぬりぼとけのうたげ うたげのしまつ)
百鬼夜行――陰(ひゃっきやぎょう・いん)[番外編]
百器徒然袋――雨(ひゃっきつれづれぶくろ・あめ)[番外編]
今昔続百鬼――雲(こんじゃくぞくひゃっき・くも)[番外編]
陰摩羅鬼の瑕 (おんもらきのきず)
百器徒然袋――風(ひゃっきつれづれぶくろ・かぜ)[番外編]

その他
巷説百物語(こうせつひゃくものがたり)
続巷説百物語(ぞく・こうせつひゃくものがたり)
後巷説百物語(のちのこうせつひゃくものがたり)
嗤う伊右衛門 (わらういえもん)
覘き小平次(のぞきこへいじ)
どすこい(仮)
どすこい(安)(どすこい(仮)の新書版)
どすこい。(どすこい(仮)/どすこい(安)の文庫版)
ルー=ガルー 忌避すべき狼
豆腐小僧双六道中 ふりだし (とうふこぞうすごろくどうちゅう)
妖怪馬鹿(多田克己氏、村上健司氏との共著)
猫田一金五郎の冒険

刊行予定
邪魅の雫(じゃみのしずく;京極堂シリーズ)
前巷説百物語(さきのこうせつひゃくものがたり;季刊『怪』で連載中)
インクブス×スクブス(ルー=ガルーの続編)
八犬伝
播州皿屋敷(タイトル未定)
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by dcb0322 | 2005-09-23 21:58
塩野 七生(しおの ななみ)
塩野 七生(しおの ななみ、1937年7月7日 - )は、東京都出身の作家、小説家。
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プロフィール
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。1963年からイタリアへ遊学し、1968年に帰国すると執筆を開始。雑誌『中央公論』掲載の『ルネサンスの女達』で作家デビューをはたす。1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。また同年から再びイタリアへ移り住み、現在もイタリアの古都・フィレンツェに在住。1983年には、菊池寛賞を受賞。

1992年からは古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆しており、完成は2006年を予定している。

小説
「ローマ人の物語」
『ローマ人の物語I ローマは一日にして成らず』 (1992年 新潮社)
王政ローマの建国からイタリア半島統一までを描く。
『ハンニバル戦記 ローマ人の物語II』
第1次~第3次ポエニ戦争を描く。名将大スキピオ対ハンニバル
『勝者の混迷 ローマ人の物語III』
地中海の覇者となったローマの内乱の世紀
『ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV』
ユリウス・カエサルの偉業と魅力
『ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマ人の物語V』
カエサルのルビコン川越えと暗殺、第二次三頭政治
『パクス・ロマーナ ローマ人の物語VI』
ローマを帝政に移行させた初代皇帝アウグストゥスが、パクス・ロマーナの実現を進める
『悪名高き皇帝たち ローマ人の物語VII』
ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの4皇帝の功罪
『危機と克服 ローマ人の物語VIII』
ユリウス・クラウディウス朝断絶による帝国の混乱と、克服
『賢帝の世紀 ローマ人の物語IX』
トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウスらによる五賢帝時代
『すべての道はローマに通ず ローマ人の物語X』
ローマのインフラストラクチャーについて書き尽くした番外編
『終わりの始まり ローマ人の物語XI』
哲人皇帝マルクス・アウレリウス
『迷走する帝国 ローマ人の物語XII』
『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 上・下』 (1980年 中央公論社)
ヴェネツィアの興隆期
『コンスタンティノープルの陥落』 (1983年 新潮社)
15世紀後半、キリスト教世界とメフメト2世率いるオスマン帝国による、コンスタンティノープルをめぐる争いを描く。(コンスタンティノープルの陥落を参照)
『ロードス島攻防記』
1522年、聖ヨハネ騎士団と大帝スレイマン1世率いるオスマン帝国との、ロードス島をめぐる争い
『レパントの海戦』
1571年、スペイン王フェリペ二世率いる西欧連合艦隊とオスマン帝国との間で繰り広げられたレパントの海戦
『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』 (1970年 新潮社)
『わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡』 (1987年 中央公論社)
『神の代理人』(1972年 中央公論社)
『緋色のヴェネツィア 聖マルコ殺人事件』 (1993年 朝日文庫)
『銀色のフィレンツェ メディチ家殺人事件』 (1993年 朝日文庫)
『黄金のローマ 法王庁殺人事件』 (1995年 朝日文庫)

エッセイ
『イタリア遺聞』
『サイレント・マイノリティ』
『イタリアからの手紙』
『おとな二人の午後』
『ローマから日本が見える』

その他
『マキアヴェッリ語録』

受賞
1970年 毎日出版文化賞
1982年 サントリー学芸賞
1993年 新潮学芸賞
1999年 司馬遼太郎賞
2000年 イタリア政府より国家功労賞
2005年 紫綬褒章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-22 19:03
司馬 遼太郎(しば りょうたろう)
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年8月7日-1996年2月12日) は、大阪府大阪市出身の小説家である。歴史小説を専攻。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。幼少時代を奈良県北葛城郡當麻町(現在の葛城市)で過ごす。ペンネームは、「司馬遷に遼(はるか)に及ばず」と言う謙遜の意味である。日本の大衆文学の巨匠、中心とされている作家。
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概要
歴史小説家としてはスコット以来の人物中心主義の流れを汲んでおり、直接には司馬遷における史記列伝の形式を範にした作家であるということができる。

特徴としては、つねに登場人物や主人公に対して好意的であり、作家が好意を持てる人物しか取りあげない。そのことによって、主人公に対して作者の持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長して、ストーリーのなかに読者を巻きこんでゆくという手法をとることがきわめて多い。また歴史の大局的な叙述とともにゴシップを多用して登場人物を的確に素描し、ややつきはなした、客観的な描写によってかわいたユーモアや、余裕のある人間肯定の態度を見せる手法は、それまでの日本語による歴史小説の伝統のなかではきわめて異質なものであり、その作品が与えた影響は大きい。

高い実証性を持った歴史小説の形式を確立したのも司馬の大きな功績であり、それまで所謂史伝ものか、荒唐無稽な講談風の歴史小説しか存在しなかった社会にあって、歴とした知識人が上質な娯楽として読むに足る程度の高い歴史小説を書いたことは特筆に価するだろう。ただしその実証性の高さによって、彼の小説が小説作品としての枠を超え、歴史書としての批判にさらされていることも事実である。新しい視点と斬新な描写で「司馬史観」と呼ばれる歴史観をも作るほどの影響を与えた国民的作家である。

特徴
司馬の歴史観を考えるうえで逸することができない問題は合理主義への信頼である。第二次大戦における日本のありかたに対する不信から小説の筆をとりはじめた、という述懐からもわかるように、狂信的なもの、非論理的なもの、非合理なもの、神秘主義、いたずらに形而上学的なもの、前近代的な発想、神がかり主義、左右両極の極端な思想、理論にあわせて現実を解釈し切取ろうとする発想、はすべて司馬の否定するところであり、当然のことながら、こうしたものの対極にある近代合理主義の体現者こそが、司馬の愛する人物であった。『燃えよ剣』において、最後まで尊王と佐幕の思想的対立に悩みつづけた近藤勇ではなく、徹底して有能な実務家であった土方歳三をとりあげ、『翔ぶが如く』において、維新以降ファナティックなものへと傾斜する西郷隆盛よりも、大久保利通や川路利良に好意的な描写が多いのは、こうした理由によるものであろう。ただし、そうした近代合理主義の尊重が、司馬の小説や史観に一定の限界を与えていたこともまた事実である。

晩年にはノモンハン事件の作品化を構想していたといわれているが、日本軍の杜撰な計画のために歴史的大敗を喫したこの事件には、司馬にとって描くべき対象となる人物が本質的に存在せず、その意味でこの小説が着手されずにおわったことは司馬を象徴するできごとであるといってもいい。

作品リスト
小説
項羽と劉邦-秦~漢、項羽、劉邦
義経-平安時代、源義経
妖怪-室町時代、6代将軍の落胤という熊野の源四郎を通し 応仁の乱前夜の京の風雲を描く
箱根の坂-室町時代、北条早雲
国盗り物語-戦国時代、斎藤道三、織田信長
新史太閤記-安土桃山時代、豊臣秀吉
尻啖え孫市-安土桃山時代、雑賀鉄砲衆を率い織田信長に抗した雑賀孫市を描く
播磨灘物語-安土桃山時代、黒田孝高(黒田官兵衛)
覇王の家-安土桃山時代、徳川家康
功名が辻-安土桃山時代、土佐藩の藩祖山内一豊と賢夫人として名高い、妻の千代を描く
夏草の賦-安土桃山時代、長宗我部元親
梟の城-安土桃山時代、豊臣秀吉暗殺の命を師より受けた伊賀忍者・葛篭重蔵を描く。直木賞受賞作品。
豊臣家の人々-安土桃山時代、豊臣秀吉の家族を描いた連作短編
関ヶ原-関ヶ原の戦い、石田三成
風神の門-桃山時代~江戸時代初期、霧隠才蔵
城塞-江戸時代、大阪冬の陣、大阪夏の陣を描く
戦雲の夢-江戸時代、長宗我部盛親
韃靼疾風録-明末、清の勃興を1日本人桂庄助の目を通して描く
大盗禅師-由比正雪、鄭成功。大濤禅師の幕府転覆・明帝国再興の企みを、主人公浦安仙八を中心に描く幻想小説。
風の武士-江戸時代、伊賀同心の末裔、柘植信吾を主人公にした伝奇小説
十一番目の志士-幕末、架空の勤王の志士、天堂晋助を通して幕末を描く
竜馬がゆく-幕末、坂本竜馬(坂本龍馬)
花神-幕末~明治維新、大村益次郎
菜の花の沖-江戸時代末期、高田屋嘉兵衛
世に棲む日日-幕末、吉田松陰、高杉晋作
燃えよ剣-幕末~明治維新、土方歳三
新選組血風録-幕末、新選組を描いた連作短編
峠-幕末~明治維新、河井継之助
胡蝶の夢-幕末、松本良順
最後の将軍-幕末、徳川慶喜
俄 浪花遊侠伝-幕末の侠客、明石屋万吉の視線より大阪庶民からの幕末を描く
喧嘩草雲-江戸時代の画家、田崎草雲の奇妙な人生を描いた短編。
酔って候-幕末、山内容堂、島津久光、伊達宗城、鍋島閑叟の幕末の四大大名を描いた短編小説
歳月 - 幕末~明治維新、江藤新平
翔ぶが如く-明治維新、西郷隆盛、大久保利通
坂の上の雲-秋山好古、秋山真之、正岡子規の3人を主人公に、勃興期の明治国家を描く長篇。
殉死-日露戦争で武勲を挙げたが明治の終焉とともに自殺した、乃木希典を描く。

エッセイ
街道をゆく
空海の風景 - 空海
「明治」という国家
「昭和」という国家
この国のかたち
風塵抄
16の話 - エッセイ集。

略歴
1923年 大阪府大阪市に生まれる。
1930年 大阪市立難波塩草尋常小学校入学。
1936年 私立上宮中学校(現在の上宮高等学校)へ進学。
1940年 上宮中を卒業。
1941年 大阪外国語学校蒙古語科入学。
1943年 学徒出陣のため大阪外国語学校を卒業。兵庫県加古郡(現在の加古川市)にあった戦車第19連隊に入営。
1944年 満州の戦車第1連隊に配属される。
1945年 本土防衛のための戦車第1連隊士官として栃木県佐野市に配属され終戦を迎える。
1946年 新日本新聞に入社。京都支社に配属となる。
1948年 2月に新日本新聞倒産。5月産業経済新聞社入社、京都支局に配属となる。
1950年 最初の結婚。同年の金閣寺放火事件では住職等から犯行の動機をすっぱ抜く。
1952年 長男誕生。
1954年 離婚。長男は福田家の祖父母に預けられる。
1956年 大阪本社勤務の傍ら短編小説『ペルシャの幻術師』を講談社の懸賞に募集。第8回講談倶楽部賞を受賞し文壇にデビューする。当時は山田風太郎と並ぶ、伝奇小説の担い手として注目され、本格歴史小説の大家になろうとは予想だにされていなかった。
1959年 松島みどりと結婚。
1960年 『梟の城』にて第42回直木賞受賞。
1961年 産経新聞社退社。執筆活動に専念する。
1964年 現在、司馬遼太郎記念館のある大阪府布施市下小阪(現在の東大阪市下小阪)に転居。
1966年 『竜馬がゆく』『国盗り物語』にて第14回菊池寛賞受賞。
1972年 『世に棲む日日』で第6回吉川英治文学賞受賞。
1976年 『空海の風景』などで第32回芸術院恩賜賞受賞など、数々の賞を受賞。
1981年 日本芸術院会員となる。
1988年 『韃靼疾風録』で第15回大佛次郎賞受賞。
1991年 文化功労者に選ばれる。
1993年 文化勲章受章。授章式が行なわれた皇居で、徳仁に「トイレは何処ですか」と尋ねる。皇太子に便所の場所を尋ねた人は、恐らく司馬以外に存在しないとも言われている。
1996年2月12日腹部大動脈瘤破裂のため国立大阪病院にて死去。享年72。忌日は生前好きだった菜の花に因み「菜の花忌」と呼ばれる。
1996年3月4日東大阪市名誉市民となる。
1996年11月1日(財)司馬遼太郎記念財団発足。
1998年より、毎年菜の花忌に司馬遼太郎賞を贈賞。
2001年11月1日司馬遼太郎記念館がオープン。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-22 18:57
ブランド
ブランドとはある商品、サービスを象徴するもののこと。ある商品・サービスを、別の商品・サービスから区別するための商品名称やシンボルマーク、模様だけでなく、消費者が商品・サービスを見た際に想起させる周辺イメージ総体もブランドと呼ぶ。

元々、ブランドとは、商標など、商品についていた付属物にすぎなかったが、その商品が広く使われるにつれて、付属物自体が見る者に高級である、使い勝手が良いといったイメージを連想させるような働きをもつようになった。イメージを確立した後は、商品やサービスとは離れて、付属物自体(ブランド自体)が重要な意味を持つようになった。

現代では、マーケティング分野におけるブランドの価値が注目されており、企業のブランド価格が計算されることもある。仮に、法律違反や大規模な事故の発生など、何らかの不祥事を起こした場合、企業のブランド価値は下がり、場合によっては企業の存続にかかわることもある。

様々なブランド
企業名そのものが一つのブランドである場合もあるが、一つの企業が高級ブランドと生活に密着した普及品ブランドなど、複数のブランドを展開する場合もある。(例・北米における日本の自動車メーカーのブランド展開。トヨタ自動車では一般ブランドの「TOYOTA」と、高級ブランドの「LEXUS」(レクサス)を展開している)また同じ製品でも国によってブランドが異なる場合もある。(松下電器産業:日本では白物家電はNationalだが、海外の家電ブランド名は、国内ではAV・情報機器のみに使用しているPanasonicを使用)また、ソニーは「SONY」のアルファベット4文字が世界トップレベルのブランドイメージを誇っている。

ファッション分野におけるブランド
ファッションにおけるブランドは、個性がより求められるため、他業界よりもその価値が高いとされており、いわゆるブランド戦略が成り立ちやすい。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-22 18:33
2ちゃんねる(にちゃんねる)
2ちゃんねる(にちゃんねる)は、日本屈指のアクセス数を持つ電子掲示板群である。2ちゃんや2chなどと略される。西村博之(通称「ひろゆき」)主宰の下、削除人などのボランティアで構成される運営陣によって管理されている。

概要
2ちゃんねるはスレッドフロート型掲示板という電子掲示板の集合体である。「ニュース極東」や「心理学」など様々な分野に関する掲示板(板、いた)が存在し、それぞれの板においてその分野のトピックについて話し合うスレッド(スレ)が複数独立して進行している(例:「天皇皇后両陛下サイパン訪問」「数学も物理もできない哲学者なんて」)。スレは基本的にスレ作成者(1、いち)の提示したトピックに対するコメントを投稿(レス)していく形で進行していき、レス数が1000を超えてなお話が継続する場合には新しいスレ(新スレ)が作成される。また、板は「ニュース」「文系学問」など更に上位のカテゴリ(カテ)に分類されている。特定の板やスレをよく利用する人のことを住人もしくは住民と呼ぶ。

2005年5月現在700以上の板があり、各板には数十から数百のスレッドがある。「『ハッキング』から『今晩のおかず』までを手広くカバーする巨大掲示板群」[1]というキャッチフレーズの通り話題は多岐に渡る。

2ちゃんねるでは投稿の際に名前欄の記入が必須ではなく、匿名での参加が可能となっている。このため、2ちゃんねるを自由に気兼ねなく発言できる言論空間であると評価する声がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-22 18:25
ブログ(ウェブログ、Blog、Weblog)
ブログ(ウェブログ、Blog、Weblog)とは狭義にはWorld Wide Web(Web)上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加え記録(Log)しているWebサイト。

写真画像を主体として更新されるブログはフォトログ(photolog、fotolog)、ビデオコンテンツを配布するビデオブログはヴログ(vlog、ビデオブログ)と呼ばれ、通常、投稿にはテキストやイメージが添えられる。

概要
それぞれの項目にはタイトルがつけられ、時間軸やカテゴリで投稿を整理、分類する構造となっている。用途は広く、個人の日記的なものから、手軽な意見表明の場として、時事問題などについて論説するものもある。トラックバック機能などを通じて形成されるコミュニティを指してブログ界(Blogosphere)とも呼ばれる。

ブログの始まりは、英語圏のウェブにおいて、自分が気になったニュースやサイトなどのURIを、寸評つきで紹介したこととされ、Blogger、Movable typeなどのブログ用のツールの出現、イラク戦争の時には現地から更新されるブログが話題となり、その知名度を大きく引き上げる結果となった。

日本ではブログという言葉はなじみの薄いものであったが、ツールの日本語化などにより、2002年ごろから急速に広まった。言葉が日本で普及する以前から、日本にはWeb日記や個人ニュースサイトといったジャンルのサイト、およびそれに付随するコミュニティが存在し、これとブログとの関連も指摘されている。こういったいきさつから日本ではブログという言葉はサイトのジャンルというよりも、ブログ向けのツールを使って作られたサイトを指すことが多い。また、ニュース・日記サイトの中でも、手書きやホームページビルダーなどで作成していたものが、ブログ用ツールでの作成へ移行するケースも多い。

さらに、携帯電話からの写真付投稿等に対応したブログ=Mobile Blog、略してMoblogなるものも開発され、盛んである。

ブログの発祥の地アメリカでは管理者は本名記載、コメントも本名投稿が原則であるのに対し、日本では匿名・捨てハンドルネーム使用が容認されている事もあって、管理者叩きの為のコメントスクラムが発生するなど本来の目的から外れた2ちゃんねる化が懸念されている。アメリカのブログが社会的影響力を保有するまでに成長しつつある事と比べ、日本のブログはこのような問題の為、アメリカのように発展するのは難しいという声もある。

発祥の地アメリカでは白地のシャツに「平和!」と価値観や思いを表明して歩く感覚・発想(TシャツにPEACE!)から「意見表明やジャーナリスティックな視点」のブログが多く、日本では美味しかった・不味かったなどといった感覚を主眼に置くところから日記風のブログが多い、という把握の仕方がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-22 18:15
ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico)
ギリシア生まれのイタリア人の画家。キリコの初期の作品に見られる、アーチの並ぶ建物、影法師、煙を吐く機関車などのモティーフで満たされた風景は、見る者を不安にさせるとともに、どこかで見た、なつかしい風景のようにも思える。こうした形而上絵画と呼ばれる画風(のちのシュルレアリスムに大きな影響を与えた)を、画家本人は後に否定し、古典的な作風に転じた。没したのは1978年だが、今日、キリコの典型的な作品として評価されているのは、1910年代を中心とした、初期の作品群であろう。ただ、デ・キリコの作品のうち、1910年代の作品だけを評価するという姿勢は、アンドレ・ブルトンによる、シュルレアリスムから見た評価の影響と思われるが、今日では、1910年代よりあとの時期の作品もまた、おおむね評価されるにいたっている。
なお、デ・キリコは、意図的に、正しくない制作年の表記を作品に行っていることが多く、デ・キリコの作品の正しい制作年を決定することは、しばしば困難であるといわれる。
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代表作
街の神秘と憂鬱(1914)(個人蔵)
ヘクトールとアンドロマケの別れ(大原美術館)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-21 12:08
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