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カテゴリ:☆南フランスの旅( 15 )
南西フランス特集:ロカマドゥール(Rocamadour)④ ロカマドゥールで泊まる
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エスペランス川を見落す場所にたたずむロカマドゥールのシャトーホテル。このシャトーは11世紀前半から多くの所有者の手にわたったが、Liebus家が所有してからはシャトーホテルとして生まれ変わった。シャトーホテルに生まれ変わってからもこのシャトーの魅力は失われていない。

光をふんだんに取り込める中世からの石造り、豪華なオリエント様式のゆったりくつろげる内装にしあがっている。また、ペリゴール地方のフォアグラを使った本場フランス料理が食べられるのもうれしいところ。

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by dcb0322 | 2005-11-25 15:40 | ☆南フランスの旅
南西フランス特集:ロカマドゥール(Rocamadour)③ ロカマドゥールを歩く
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ロカマドゥールは、巡礼地としてより、観光地としてと人気のある場所。街には、お土産物屋とレストラン、ホテルが立ち並び、観光客で賑わっている。街の入り口には、聖域までの長い階段を歩かないで済むように有料のエレベータもある。大峡谷のくぼみに立てられた傾斜のある通り、堅固な城壁を見て歩くだけでも楽しめる。


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by dcb0322 | 2005-11-18 11:47 | ☆南フランスの旅
南西フランス特集:ロカマドゥール(Rocamadour)② ノートルダム教会
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ロカマドゥールの階段を登ると、ノートルダム教会があり、黒い聖母像が奉られている。教会の左側の階段を下ると、聖アマドゥールの遺骨をおさめた地下聖堂がある。巡礼が始まったのは12世紀。 1166年にこの場所で発見されたミイラ化した遺体が聖アマドゥールだとされてから。それ以後、この場所で奇跡が頻発し、13世紀には最も人気がある巡礼地の一つとなる。しかしながら、1476年に岩盤が崩れて教会が崩壊し、その後は宗教動乱が度重なり、この巡礼地は完全に荒廃してしまった。19世紀になって ようやく大掛かりな修復が行われた。


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by dcb0322 | 2005-11-17 10:46 | ☆南フランスの旅
南西フランス特集:ロカマドゥール(Rocamadour)①
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コンク方面からカオール方面へ台地を進み、D673に入り約4km、アルズー(Alzou)渓谷にさしかかる辺りでロカマドゥールが姿をあらわす。アルズー渓谷の段丘にへばり付くように構成されたその景観はとても印象的だ。 ロカマドゥールはもともと、聖アマドゥールが隠遁生活に選んだ場所であった。 『アマドゥールの岩』がすなわち、この地名の由来だ。フランスで最もおおくの人が訪れる場所のひとつ。12世紀に、聖女ベロニカの夫、聖アマドゥールの遺骨が発見されて一躍有名になった。聖母マリアを奉する礼拝堂の下に埋葬された遺骨は奇跡を起こすといわれ、数多くの巡礼者がやってくる。

■地域:ミディピレネー(Midi-Pyrénées)
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by dcb0322 | 2005-11-16 18:01 | ☆南フランスの旅
プロヴァンス(Provence)
プロヴァンス(Provence)は、フランス革命以前のフランスに置かれていた州のひとつであり、フランス王国併合前にその地にあった独立国の名前でもある。「プロヴァンス」の名称は、古代ローマ時代の属州(Provincia)であったことにちなみ、プロヴァンス語で "Provènço" や "Provença" などとも呼ぶ。
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地域の区分としては、ローヌ川の左岸(東岸)とヴァール川の右岸とで区切られた一帯であり、現在の地域圏でいえばプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の大部分に当たる。文化的、歴史的にはこの地域圏に含まれる各県のほか、アルデシュ県とドローム県の各南部、およびガール県の東部もプロヴァンス的であるといえる。
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気候
地中海の恩恵を強く受ける地域である。夏は暑く乾燥している。冬は、沿岸部では穏やかであり、東部は湿潤である。ただし北部では厳しい。

歴史
1382年、この地のジャンヌ女王が没し、カペー系の最初のアンジュー家(la première maison capétienne d'Anjou)は途絶えた。この養子にとられたアンジュー公ルイ1世の兄弟がカペー系のアンジュー家を再興したが、これも1491年に途絶え、1498年にはフランス王領に併合された。



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by dcb0322 | 2005-10-03 15:00 | ☆南フランスの旅
アヴィニョン (Avignon)
アヴィニョン (Avignon) はフランスの都市、南仏ヴォクリューズ県の県庁所在地である。
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地域圏 プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール
県 ヴォクリューズ
行政機能 県庁所在地
人口 85,935 人 (1999年)
面積 64.78 km²

歴史
ローマ帝国時代にはガリア・ナルボネンシス属領の主要都市のひとつ。5世紀に蛮族の侵入によって荒廃したのち、737年にカール・マルテル率いるフランク人によって滅ぼされた。カール・マルテルが戦っていたアラブ人の側についたことによるもの。のち、ブルグント王国、ついでアラス王国領となる。中世末のカタリ派運動のなかではカタリ派を支持。12世紀末、都市は独立を宣言し共和制をとる都市国家となるが、長くは続かず、1226年ルイ8世によって占領され、武装解除された。カタリ派を支持した街への処罰として、市の城壁は破壊された。アヴィニョンはプロヴァンス公領、ついでトゥールーズ伯領となった。
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キリスト教が入ったのは早く、70年に司教座がおかれた。14世紀には、偶然の事情からではあるが、1309年にクレメンス5世がアヴィニョンを居城に定めたのち、1377年までローマ教皇庁所在地となった(アヴィニョン捕囚)。1426年に大司教座がおかれた。1303年に大学が開かれ、フランス革命まで続き、法学で知られた。

アヴィニョン捕囚時代の半ば、1348年に領主プロヴァンス女公ジョアンナから教皇クレメンス6世に市が売却された。以後、フランス革命で没収されるまで、教皇領となった。何人かの対立教皇はアヴィニョンに教皇座をおいている。
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by dcb0322 | 2005-10-01 20:00 | ☆南フランスの旅
カンヌ(Cannes)
カンヌ(Cannes)は、南フランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール(Provence-Alpes-Côte d'Azur) 地域圏、アルプ=マリティーム(Alpes-Maritimes)県の都市。人口は約7万人。
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地中海に臨むコート・ダジュール(Côte d'Azur)で、ニース(Nice)に次ぐリゾート地。ニース西南約30km。

中世から19世紀はじめまでは、農業、水産業を中心とする小さな村だったが、1834年、イギリスのブルハム卿がイタリアへの途上滞在したのをきっかけとして国内外の貴族がこの地域に別荘を建てはじめ、次第に高級リゾート地へと発展。近郊10kmのアンティーブ(Antibes)には、ピカソが住んだグリマルディ城(Chateau Grimadi)があり、現在ピカソ美術館(Picasso Museum)となっている。

毎年5月の映画祭開催地として世界的に知られている。目抜き通りのラ・クロワゼット通り(Bd. de la Croisette)には、世界から集まる著名人や映画俳優が宿泊する超高級ホテルをはじめ、高級レストラン、ブティックなどが並ぶ。通りの西端にある建物パレ・デ・フェスティヴァル(Palais des Festivals)は、映画祭のみならず年間を通じさまざまなイベントが行なわれる会場である。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:34 | ☆南フランスの旅
モンペリエ(Montpellier)
モンペリエ(Montpellier)はフランス南部、ラングドック=ルシヨン地域圏の都市、同地域圏首府である。エロー県の県庁所在地。
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モンペリエ
地域圏 ラングドック=ルシヨン
県 エロー
行政機能 地域圏首府
人口 225,392 人 (1999年)
面積 56.88 km²
モンペリエ大学の所在地として、中世からの学園都市である。

モンペリエ大学(l'Université de Montpellier)
モンペリエ大学(l'Université de Montpellier)は、南仏の都市モンペリエにある大学。フランスの大学としては屈指の歴史を誇り、とりわけ医学部はヨーロッパ最古とされる。

前身と初期の学部
大学としての正式な創設は、ローマ教皇ニコラウス4世による大勅書が出た1289年のことである。これは、パリ大学(1150年)、トゥルーズ大学(1229年)に次いで、フランスで三番目に古い設置である。ただし、それに先立ってモンペリエには前身となる学校が存在していた。

教養学部(自由七科)
この前身の創設は明確ではない。
法学部
1160年にモンペリエに来たボローニャの法学校のプラケニトゥス(Placentinus)が礎を作った。彼はそこで教鞭を執り、1192年に没した。法学部は長い伝統を誇り、のちにはナポレオン法典の起草に当たっても、当時のモンペリエ大学の教授たちが大きく貢献した。なお、法学部は1998年に改組された。
医学部
モンペリエ大学で最も名高いのが医学部である。この前身はスペインの医学校で学んだユダヤ人たちによって形成されたと推測されている。モンペリエの領主ギレムの政策のおかげで、免状を持った医師であればその学校で講ずる事ができた。また、教員に定員はなく、多様な講義が可能であった。
1220年にはローマ教皇ホノリウス3世の特使コンラッド枢機卿(Cardinal Conrad von Urach)によって法認が与えられ、1240年にはマグロンの司教の指揮下でさらに広い分野での承認が与えられた。ただし、こうした監督下にあっても事実上かなりの自治を謳歌していた。
神学部
修道院での講義に起源を持ち、パドアのアントニオやドミニコ会士のベルナール・ド・ラ・トレイユ(Bernard de la Treille)らが講じた。修道院と切り離された形での神学部が確認できるのは1350年1月のことである。1421年12月17日付のマルティヌス5世の大勅令では、神学部に教会法に基づく研究機関を設置することが認められ、それは法学部と密接に結び付けられた。

付属施設
植物園- 1593年に設置されたフランス最古のもの

モンペリエ大学で学んだ有名人
フランソワ・ラブレー
医師免許と医学博士号を取得し、教鞭も執った。1239年以降の医学部教授の肖像画ギャラリーには彼の肖像画も含まれている。
ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)
医学部で学んだ(入学の記録はあるものの、定説化している博士号取得や教授就任は現在のところ資料的裏付けがない)。
フランチェスコ・ペトラルカ
法学部で学んだ。
ポール・ヴァレリー
法学部を卒業した。現在、モンペリエ第3大学(後述)は、「ポール・ヴァレリー(l'Université Paul Valéry Montpellier III)」の異称を持つ。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:29 | ☆南フランスの旅
カルカソンヌ (Carcassonne)
カルカソンヌ (Carcassonne) は、フランス南部の都市、ラングドック=ルシヨン地域圏に属するオード県の県庁所在地である。古代ローマ時代、要塞都市が建設されたことで有名である。
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面積は65.08km²、1999年の人口は43,950人、近郊を含めたカルカソンヌ都市圏としての人口は82,577人である。2004年に施行された自治体間連合(Intercommunalité)の人口は64,952人。

街の名前カルカソンヌは、カール大帝がこの都市の攻略をあきらめ退散するときに、当時街を治めていた女性カルカス (Carcas) が勝利のラッパを吹き鳴らした (sonner) ことに由来する。

伝統的に下街(ville basse)と上街(ville haute または cité)の二区画からなる中世都市である。都市を覆う城塞は19世紀に建築家ユージェーヌ・ヴィオレ=ル=デュックにより改修されており、1997年にユネスコの世界遺産に登録された。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:19 | ☆南フランスの旅
ニーム(Nîmes)
ニーム(Nîmes)はフランス南部、ラングドック=ルシヨン地域圏の都市、ガール県の県庁所在地である。
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面積は165.85km²、人口は約13万人、近隣都市を併せると約15万人、ニーム都市圏としては約22万人に達する。

古代ローマ時代からの都市であり、当時の名をコローニア・ネマウサ(Colonia Nemausa)と称する。ニームには古代ローマ時代の橋・神殿・円形劇場などの遺構が数多く残る。水道橋ポン・デュ・ガールは1世紀に建設され、街にウーゼ川から水を供給した。現在ポン・デュ・ガールはユネスコの世界遺産に登録されている。

ニームの円形劇場は現在も闘牛やコンサートに使用されている。

ニーム出身の著名人には小説家アルフォンス・ドーデがいる。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:13 | ☆南フランスの旅
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