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2005年 10月 01日 ( 18 )
DivX5周年、1日限定でライセンスキー無料配布
【2005年9月29日】
DivX.comのフォーラムによれば、現地時間の28日午後1時(UTC-7、日本時間29日午前5時)前に、DivX, Inc.の5周年を記念してDivX Proのライセンスキーの1日限定無償配布が開始された。

今回配布されるのはWindows 2000/XP用の「DivX Create Bundle」用のライセンスキーで、通常はDivX.comにて19.99ドルで販売されているもの。1日限定の特設ページでメールアドレスを送れば、メールでライセンスキーが送付されると共にDivX Create Bundleのダウンロードが開始される。DivX Create Bundleをインストール後スタートメニューから「製品の登録」を選び、送付されたメールに掲載されているライセンスキーを登録することで、コーデックの内有償となっている機能の部分「DivX Pro」と、動画ファイルをDivX形式にエンコードするプログラム「DivX Converter」の試用制限が解除される。なお、今回の特別ライセンスキーでは、同ソフトに同梱されているMPEG-2読み出し用コンポーネント「DivX Converter MPEG-2/DVD Plug-in」の制限解除は行えず、これについては別にDivX.comで購入する必要がある。DivX Converter MPEG-2/DVD Plug-inの価格は9.99ドル。

この特別ライセンスキーの配布は1日限定と発表されているが、終了時間については明記されておらず完全な24時間限定かどうかについては不明。

シェアウェアもしくはそれに類ずる形態で公開されたソフトウェアのライセンスキーの1日限定無償配布が行われたものとしては、2005年の8月末のOperaに前例がある。Operaの場合はその後ソフトウェア自体が無償になったが、DivXも同様に将来無料化されるかどうかが注目される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-10-01 22:27 | ★ニュース
キルギス、新政府閣僚承認される
【2005年10月1日】
AP通信によれば、9月30日、キルギス共和国議会は、クルマンベク・バキエフ大統領から再提示された6人の閣僚候補全員を承認した。
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27日の議会の評決では、最初に提示された16人の閣僚名簿のうち、6人の閣僚候補が否決された。このため、29日、大統領が新たに閣僚候補6人を議会に提示した。議会では2日間審議が行われ、30日に評決が行われた。

空席だった第1副首相には、アリクベク・ジェクシェンクロフ外相が指名された。

キルギスでは今年3月アスカル・アカエフ前大統領が政変により退陣した後、7月に選挙が行われて、バキエフ大統領が誕生した。バキエフ新大統領は、前政権崩壊後、選出されて首相兼大統領代行を務めていた。

閣僚の決定に先立ち、すでに首相は任命済みで、9月1日にフェリクス・クロフ首相が議会の承認を得て大統領に任命されている。

RIAノーボスチ通信によれば、バキエフ大統領は、経済発展を重要な課題と考えており、近隣諸国、ロシア、欧米諸国との成熟した実りある良好な関係を志向している。外務省によれば、キルギスは伝統的にロシアとの友好関係を重視してきた。またスイスインフォによれば、国内政治に関しては、大統領は政治の安定と政府内の腐敗浄化を課題と考えている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-10-01 22:15 | ★ニュース
アヴィニョン (Avignon)
アヴィニョン (Avignon) はフランスの都市、南仏ヴォクリューズ県の県庁所在地である。
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地域圏 プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール
県 ヴォクリューズ
行政機能 県庁所在地
人口 85,935 人 (1999年)
面積 64.78 km²

歴史
ローマ帝国時代にはガリア・ナルボネンシス属領の主要都市のひとつ。5世紀に蛮族の侵入によって荒廃したのち、737年にカール・マルテル率いるフランク人によって滅ぼされた。カール・マルテルが戦っていたアラブ人の側についたことによるもの。のち、ブルグント王国、ついでアラス王国領となる。中世末のカタリ派運動のなかではカタリ派を支持。12世紀末、都市は独立を宣言し共和制をとる都市国家となるが、長くは続かず、1226年ルイ8世によって占領され、武装解除された。カタリ派を支持した街への処罰として、市の城壁は破壊された。アヴィニョンはプロヴァンス公領、ついでトゥールーズ伯領となった。
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キリスト教が入ったのは早く、70年に司教座がおかれた。14世紀には、偶然の事情からではあるが、1309年にクレメンス5世がアヴィニョンを居城に定めたのち、1377年までローマ教皇庁所在地となった(アヴィニョン捕囚)。1426年に大司教座がおかれた。1303年に大学が開かれ、フランス革命まで続き、法学で知られた。

アヴィニョン捕囚時代の半ば、1348年に領主プロヴァンス女公ジョアンナから教皇クレメンス6世に市が売却された。以後、フランス革命で没収されるまで、教皇領となった。何人かの対立教皇はアヴィニョンに教皇座をおいている。
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by dcb0322 | 2005-10-01 20:00 | ☆南フランスの旅
カンヌ(Cannes)
カンヌ(Cannes)は、南フランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール(Provence-Alpes-Côte d'Azur) 地域圏、アルプ=マリティーム(Alpes-Maritimes)県の都市。人口は約7万人。
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地中海に臨むコート・ダジュール(Côte d'Azur)で、ニース(Nice)に次ぐリゾート地。ニース西南約30km。

中世から19世紀はじめまでは、農業、水産業を中心とする小さな村だったが、1834年、イギリスのブルハム卿がイタリアへの途上滞在したのをきっかけとして国内外の貴族がこの地域に別荘を建てはじめ、次第に高級リゾート地へと発展。近郊10kmのアンティーブ(Antibes)には、ピカソが住んだグリマルディ城(Chateau Grimadi)があり、現在ピカソ美術館(Picasso Museum)となっている。

毎年5月の映画祭開催地として世界的に知られている。目抜き通りのラ・クロワゼット通り(Bd. de la Croisette)には、世界から集まる著名人や映画俳優が宿泊する超高級ホテルをはじめ、高級レストラン、ブティックなどが並ぶ。通りの西端にある建物パレ・デ・フェスティヴァル(Palais des Festivals)は、映画祭のみならず年間を通じさまざまなイベントが行なわれる会場である。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:34 | ☆南フランスの旅
モンペリエ(Montpellier)
モンペリエ(Montpellier)はフランス南部、ラングドック=ルシヨン地域圏の都市、同地域圏首府である。エロー県の県庁所在地。
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モンペリエ
地域圏 ラングドック=ルシヨン
県 エロー
行政機能 地域圏首府
人口 225,392 人 (1999年)
面積 56.88 km²
モンペリエ大学の所在地として、中世からの学園都市である。

モンペリエ大学(l'Université de Montpellier)
モンペリエ大学(l'Université de Montpellier)は、南仏の都市モンペリエにある大学。フランスの大学としては屈指の歴史を誇り、とりわけ医学部はヨーロッパ最古とされる。

前身と初期の学部
大学としての正式な創設は、ローマ教皇ニコラウス4世による大勅書が出た1289年のことである。これは、パリ大学(1150年)、トゥルーズ大学(1229年)に次いで、フランスで三番目に古い設置である。ただし、それに先立ってモンペリエには前身となる学校が存在していた。

教養学部(自由七科)
この前身の創設は明確ではない。
法学部
1160年にモンペリエに来たボローニャの法学校のプラケニトゥス(Placentinus)が礎を作った。彼はそこで教鞭を執り、1192年に没した。法学部は長い伝統を誇り、のちにはナポレオン法典の起草に当たっても、当時のモンペリエ大学の教授たちが大きく貢献した。なお、法学部は1998年に改組された。
医学部
モンペリエ大学で最も名高いのが医学部である。この前身はスペインの医学校で学んだユダヤ人たちによって形成されたと推測されている。モンペリエの領主ギレムの政策のおかげで、免状を持った医師であればその学校で講ずる事ができた。また、教員に定員はなく、多様な講義が可能であった。
1220年にはローマ教皇ホノリウス3世の特使コンラッド枢機卿(Cardinal Conrad von Urach)によって法認が与えられ、1240年にはマグロンの司教の指揮下でさらに広い分野での承認が与えられた。ただし、こうした監督下にあっても事実上かなりの自治を謳歌していた。
神学部
修道院での講義に起源を持ち、パドアのアントニオやドミニコ会士のベルナール・ド・ラ・トレイユ(Bernard de la Treille)らが講じた。修道院と切り離された形での神学部が確認できるのは1350年1月のことである。1421年12月17日付のマルティヌス5世の大勅令では、神学部に教会法に基づく研究機関を設置することが認められ、それは法学部と密接に結び付けられた。

付属施設
植物園- 1593年に設置されたフランス最古のもの

モンペリエ大学で学んだ有名人
フランソワ・ラブレー
医師免許と医学博士号を取得し、教鞭も執った。1239年以降の医学部教授の肖像画ギャラリーには彼の肖像画も含まれている。
ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)
医学部で学んだ(入学の記録はあるものの、定説化している博士号取得や教授就任は現在のところ資料的裏付けがない)。
フランチェスコ・ペトラルカ
法学部で学んだ。
ポール・ヴァレリー
法学部を卒業した。現在、モンペリエ第3大学(後述)は、「ポール・ヴァレリー(l'Université Paul Valéry Montpellier III)」の異称を持つ。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:29 | ☆南フランスの旅
カルカソンヌ (Carcassonne)
カルカソンヌ (Carcassonne) は、フランス南部の都市、ラングドック=ルシヨン地域圏に属するオード県の県庁所在地である。古代ローマ時代、要塞都市が建設されたことで有名である。
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面積は65.08km²、1999年の人口は43,950人、近郊を含めたカルカソンヌ都市圏としての人口は82,577人である。2004年に施行された自治体間連合(Intercommunalité)の人口は64,952人。

街の名前カルカソンヌは、カール大帝がこの都市の攻略をあきらめ退散するときに、当時街を治めていた女性カルカス (Carcas) が勝利のラッパを吹き鳴らした (sonner) ことに由来する。

伝統的に下街(ville basse)と上街(ville haute または cité)の二区画からなる中世都市である。都市を覆う城塞は19世紀に建築家ユージェーヌ・ヴィオレ=ル=デュックにより改修されており、1997年にユネスコの世界遺産に登録された。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:19 | ☆南フランスの旅
ニーム(Nîmes)
ニーム(Nîmes)はフランス南部、ラングドック=ルシヨン地域圏の都市、ガール県の県庁所在地である。
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面積は165.85km²、人口は約13万人、近隣都市を併せると約15万人、ニーム都市圏としては約22万人に達する。

古代ローマ時代からの都市であり、当時の名をコローニア・ネマウサ(Colonia Nemausa)と称する。ニームには古代ローマ時代の橋・神殿・円形劇場などの遺構が数多く残る。水道橋ポン・デュ・ガールは1世紀に建設され、街にウーゼ川から水を供給した。現在ポン・デュ・ガールはユネスコの世界遺産に登録されている。

ニームの円形劇場は現在も闘牛やコンサートに使用されている。

ニーム出身の著名人には小説家アルフォンス・ドーデがいる。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:13 | ☆南フランスの旅
アルル(Arles)
アルル(Arles)はフランス南部にある同国内最大面積を持つ市。アルルの住民はアルレジャン(Arlésiens)と呼ばれる(フィンセント・ファン・ゴッホの絵画などの題名に用いられている『アルルの女(l'Arlésienne)』はこの女性単数形である)。
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地理
アルルは、ローヌ川の分岐点に位置し、カマルグの大部分を含む(カマルグの残りはサント=マリー=ド=ラ=メールに含まれる)。フランスの市町村(コミューン)では最大の面積を持ち、テリトワール=ド=ベルフォール県などよりも広い。

歴史
古代ローマ時代には、ユリウス・カエサルによってアレラーテ(Arelate)として言及されている。アレラーテは「湖(池、潟)の近く」の意味である。

観光名所
ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群が、1981年に世界文化遺産に登録された。

古代ローマ時代の円形闘技場(円形劇場)
サン=トロフィム教会(Église Saint-Trophime)
アルル・古代プロヴァンス博物館(Musée de l'Arles et de la Provence antiques)
アルラタン博物館(Museon Arlaten)- ノーベル文学賞受賞者フレデリック・ミストラルがその賞金を充てて設立した博物館。
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by dcb0322 | 2005-10-01 19:09 | ☆南フランスの旅
アルビ(Albi)
アルビ(Albi)はフランス南部、ミディ=ピレネー地域圏の都市である。タルヌ県の県庁所在地。タム川に面した町で、人口が、約50,000人。
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町は、ローマ帝国によって建設され、その後アルビガ(Albiga)と呼ばれていた。12世紀、13世紀にキリスト教の異端として迫害を受けたアルビジョワ派は、この町の呼び名に由来している。

アルビジョワ派(カタリ派)
カタリ派(Cathares)は10世紀半ばに現れ、フランス南部とイタリア北部で活発となったキリスト教民衆運動。二元論的世界観に代表されるグノーシス主義的色彩を帯びた特異な教義と組織を有したため、カトリック教会によって異端とされた。カタリ派という名前は「清浄なもの」を意味するギリシア語の「カタロス」に由来している。カタリ派という名称が初めて記録にあらわれるのは1181年にケルンで記されたシェーナウのエックベルトの「このころドイツにカタロスがあらわれた」という記述である。

カタリ派はアルビ派(アルビジョワ派)と呼ばれることもあった。南フランスの都市に由来するこの名前は12世紀終わりに現れるが、アルビ派の多かった都市がアルビではなくトゥールーズであったことを考えるとやや不適切な名称であるといえよう。



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by dcb0322 | 2005-10-01 15:16 | ☆南フランスの旅
プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏(Provence-Alpes-Côte d'Azur)
プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏(Provence-Alpes-Côte d'Azur)は、フランス南東部、地中海沿いの地域圏である。PACA(パカ)と略される。東部はアルプス山脈をはさんでイタリアと国境を接する。北はローヌ=アルプ地域圏、西はラングドック=ルシヨン地域圏と接している。

その名が示すとおり、国際的に名高い風光明媚な海岸コート・ダジュールがある。
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コート・ダジュール
コート・ダジュール(Côte d'Azur)はフランス南部の風光明媚な海岸。日本では、紺碧海岸(こんぺきかいがん)とも呼ばれる。ふつうトゥーロンを西端、イタリア国境を東端とする地中海沿岸の一帯を指し、行政区分上はヴァール県、アルプ=マリティーム県、モナコ領にあたる。北はモール山塊(les Massifs des Maures)とエステレル山塊(les Massifs de l'Estérel)で、南はアルプス山脈でそれぞれ区切られている。

観光地として国際的にも有名なため、沿岸部は都市化が進んでいる。とりわけ、国際空港を持つニースは、コート・ダジュールの中心的な都市ということができる。

この一帯がコート・ダジュールと呼ばれるようになったのは、1887年に刊行されたステファン・リエジャール(Stéphen Liégeard, 作家)の著書『ラ・コート・ダジュール』が契機とされる(ただし、百周年祭は1988年に開催された)。
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by dcb0322 | 2005-10-01 15:01 | ☆南フランスの旅
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