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朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)
朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身の力士で、第68代横綱。本名 Долгорсүрэн Дагвадорж(Dolgorsüren Dagvadorj; ドルゴルスレン・ダグワドルジ)。高砂部屋所属。

概説
2005年9月現在、優勝回数14回(外国人力士最多)、4年連続年間最多勝を決め、引退した第65代横綱・貴乃花光司と並び、平成の大横綱と評される。
明徳の名は出身校である明徳義塾高等学校にちなんで、朝青龍というしこ名は同校の近くにある四国霊場三十六番札所青龍寺にちなんで名づけられた。
相撲勘が非常に良く、相手に応じて寄り、投げ、突き押し、足技などを繰り出す。足腰が強靱。
15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダム祭の相撲少年の部で優勝した。
1997年に朝赤龍とともに日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に退学して角界に入門した(後に卒業が認められた)。
1999年1月、初土俵を踏む。
2001年に新入幕。
2002年9月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進し、同年十一月場所、2003年一月場所に連続優勝して横綱に昇進した。
2003年タミルと結婚した。またこの年、長女イチンホルロが誕生。2004年8月には故郷モンゴルで披露宴を挙げたが、同月日本でも披露宴が盛大に行われ、テレビ中継も行われた。
2004年一月場所・三月場所で、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。
続く五月場所は6日目(同年5月14日)に前頭の北勝力英樹に敗れて連勝が止まり、最終的にこの場所は2敗となったが、千秋楽(5月23日)の優勝決定戦で北勝力を破り、3場所連続優勝を達成した。
2004年の九月場所で大関の魁皇博之に敗れ、優勝を逃したが、次の11月に行われた九州場所から、6場所連続優勝を達成。これは「昭和の大横綱」・大鵬幸喜に並ぶ大記録である。
2005年十一月場所で、前人未踏の7場所連続優勝に挑戦する。

通算成績
2005年九月場所終了現在、通算407勝116敗5休、幕内在位29場所、優勝14回。

エピソード
懸賞金を受け取るとき左手で手刀を切るなど土俵上の礼儀・作法が問題になったり、病気を理由に稽古総見を休むなどし、しばしば協会や横綱審議委員会から苦言を呈されたが、横綱としての実績が高くなるにつれ、常に挑戦者と思って相撲を取る謙虚かつ油断のない姿勢や本割で負けた相手には特に集中して稽古相手に指定するという負けず嫌いに立脚する向上心が関係者に高く評価されるようにもなっている。
平成の大横綱同士の対戦は貴乃花光司の怪我による長期休場のためわずか2回しかなく、朝青龍の2戦2敗に終わっている。朝青龍が新大関として臨み、最後の対戦となった2002年九月場所では、善戦するも敗れ、対戦終了後に花道を引き上げる際に「畜生!」と大きな声で叫んでしまい、その後に支度部屋で「(対戦で貴乃花の)怪我している足を蹴っ飛ばしておけばよかった」と喋ってしまい、非難を浴びた。
2003年には横綱昇進直後に日本郵政公社のCMに出演、2005年にはP&Gの洗剤「ボールド」のCMに出演した他、富士通のパソコン「FMV」のCMでは木村拓哉と共演。また祖国モンゴルでは大統領選の候補者を応援するCMにも出演している。
優勝インタビューでは当意即妙な発言をすることで知られ、(風邪を引いた場所で)「白星が最高の薬」、(史上最高の懸賞が懸かった場所で)「ごっちゃんでした」、2005年の三月場所、千秋楽には「大阪の皆様、おおきに!」と言い、ファンを沸かせた。
2004年、35連勝中の頃、金色の締め込みで土俵に上がり、話題になったが、連勝が止まると黒に締め込みの色を変えた。

その他
実兄のスミヤバザルは格闘家、セルジブデはブルー・ウルフのリングネームで新日本プロレスで活躍している。
2005年のモンゴル大統領選挙では、ナンバリーン・エンフバヤル支持を鮮明に打ち出した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-28 10:28
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