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エルサレム(Ιηροσολυμα)
エルサレム(Ιηροσολυμα)は、西部についてはイスラエルが実効支配し、東部についてはイスラエルが占領しているもののパレスチナも領有を主張している内陸都市。ヘブライ語で、ירושלים (イェルシャライィム)、アラビア語ではالقدس (アル・クヅ) という。古代イスラエル・ユダ王国の首都で、エルサレム神殿があった場所である。またイエス・キリストが処刑された地であり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の聖地である。都市名のエルサレムとは、ヘブライ語の「イール・オッシャーム(平和の町)」であるという説が主流であったが、現在では「ウル・サレム(サレムの礎)」の意味であるとされている。アラビア語ではアル=クドス。アラビア語名のクドゥスは「神聖、崇拝」を意味する。人口60万人。
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概要
地中海から車で約一時間内陸部に入った小高い丘の上にある。ユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区である東エルサレムから成り立つ。

東エルサレム
ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地。旧市街と呼ばれる。ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」を訪れる人々は絶えない。壁の上の神殿の丘にはシャロン現首相が2000年に訪問して投石にあったイスラム教の聖地アル=アクサモスクやイスラム建築の傑作岩のドームがあって、これはユダヤ人の神殿をイスラム教徒がモスクに変えたものであり、岩のドームにはムハンマドが旅立ったという伝説があり、地下には最後の審判の日にすべての魂がここに集結してくるとされる「魂の井戸」がある(イスラム教がユダヤ教徒の伝統に従い、ユダヤ教最高の神殿をイスラム教寺院に改造することは、イエス・キリストやムハンマドはユダヤ教徒にも信頼されうる預言者であり、イスラムがユダヤ教を凌駕するものであることを示しており、ここにパレスチナ問題における宗教的側面での問題がある)。旧市街は1981年に世界文化遺産に登録された。

西エルサレム
西側は新市街と呼ばれる近代都市で、首都機能が集まる。イスラエルの政治・文化の中心である。

歴史
前30世紀頃、カナンと呼ばれていたパレスチナにおいて古代セム系民族がオフェルの丘に集落を築いたのが起源とされている。

第二次世界大戦後の1947年、国連案によって都市は旧市街を含む東エルサレムと、西エルサレムに分断された。第一次中東戦争、1967年6月の第三次中東戦争(六日間戦争)を経て、ヨルダンによって占領されていた東エルサレムは現在イスラエル管理下にある。イスラエルは東エルサレムとの統合を主張している。1980年にイスラエル議会により、エルサレムはイスラエルの永遠の首都であるとされたが、国連ではその決定の無効が決議された。

宗教とエルサレム
エルサレムは単に地理的にパレスチナの要所であるのみならず、アブラハムの宗教にとっての聖地でもある。 ユダヤ教にとっては、エルサレムは古代イスラエル王国の首都であった場所であり、その信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた場所である。幾つかの神聖とされる場所が残っている。中でも嘆きの壁は有名で、これは70年にローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときに外壁の一部が残されたものである。 キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬された場所である。それらの場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。

イスラム教にとっては、エルサレムはムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。クルアーンは、マディーナ(メディナ)に居住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちマッカ(メッカ)のカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。伝承によると、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル・アクサモスクが建設され、聖なる場所と見なされている。

これらの宗教それぞれにとってエルサレムは重要な都市であるので、エルサレムの帰属の問題はパレスチナ情勢を難しいものとしている一因である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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by dcb0322 | 2005-09-26 08:47
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